※一部アメブロの内容と重なります。
今年も7月になりました。
健次郎とお別れした月です。
でも、私はいつも健次郎と一緒だと思っています。
このブログは健次郎の健康管理のために書き始めたのですが
主役がいなくなり、書く事も少ないですが、有り難いことに
今でも、月6,000以上ものアクセスを頂いています。
過去に何度か触れた事もありますが…実は、健次郎の旅立ちの後
私emuはある病気であった事が分かりました。
当時の私は、健次郎の介護や看護で、自分のその危うい状態に
気づきつつも気づかないふりをしていました。
そしてそんな中7月7日、健次郎の命の期限について宣告をされたのでした。
健次郎はずっと甲状腺機能亢進症と慢性腎不全を患い
その年の春には膵炎とも言われました。
でも、この時に宣告されたのは、何かもっと重大で
当時の私が、『ああ・・・もうその時は近いんだなぁ』って
そう理解できる(するしかない)ことでした。
健次郎はもしかしたら免疫系の病気かもと言われたのでした。
今思うと、その数ヵ月後に、私が自己免疫疾患の病気だと
診断されたのがとても不思議に思います。
当時、健次郎のその病名については結局分からなかったですが、
今は自分の病気の事もあって、当時の自分より、健次郎の主治医が
どういう事を言いたかったのかが分かるようになりました。
だから、今更だけど、もう少し理解出来ていたら良かったと
私の数少ない後悔に近い思いになっています。
あの時、あの年、健次郎が旅立って行ったのは、もしかしたら
「emu、自分の身体のメッセージに気づいて!」という事だったのかも。
時が経つにつれて、そういう想いが強くなって行きました。
もう一つ、すごい偶然というか驚いたのが、私が今飲んでいる薬の
投与出来る上限量がその年から増えたことです。
それまでより最初から薬を増やせるようになり、私は診断後直ぐに
その基準での治療が出来たのでした。
偶然と言えばそれまでだけど、それだけじゃないようにも思います。
本当は健次郎も私ももっと一緒に居たかったけど、その別れは
ずっと前から決められていたものだったのかな・・・。
今、私は闘病しながらも健次郎を近くに感じて、前向きに進んでいます。
健次郎が気づかせてくれた、「自分をもっと大事にすること」を
これからも守っていけたらなと思っています。